技法の要点と論考

合気道brog 弱者のための合気道より

やっとわかった他流派のめざすところと、競技合気道のめざすところ。1

気の錬効法は合気道と無関係である。


全てのエネルギーが「気」であるとし、他流派の合気道は気の錬効に力を入れています。例えば合気会の多田師範は気の錬効7割で合気道技法の鍛練は3割と、ご自分の写真集にて記述されています。

無心塾合気道は気の鍛練は一切、行わないのです。もちろん狭義の合気道の創設者の冨木師範は合気道と気の関係を強く否定されています。我が無心塾もまったく同じ考えです。


やっとわかった他流派のめざすところと、競技合気道のめざすところ。1


合気会の長老の多田師範が月刊武道にて記述された稽古法と合気会の歩みは優れた解説文でもあり非常に参考になった。小欄でたびたび紹介したイタリアで活躍している柔気会の創設者の栗原君は成城大で競技合気道を学びながら多田師範の弟子でもあった。
彼が3年の頃、競技合気道との違いについて多田師範から「原理が違う」といわれたそうで、当時の私は原理は同じで競技をするかしないかの違いだから原理は同じはずだといぶかったものである。
この何年間、「原理が違う」という表現のいわんとするところがわかりかけてきていた。氏の前述した文章を読んでやっと理解できた。

技法は共通しているが稽古法が違い、結果として目指す本質が違ってきた。そうした点で原理が違うということにつながる。
非常に回りくどい表現だが、これから順をおって解説しよう。

 

やっとわかった他流派のめざすところと、競技合気道のめざすところ。2

多田師範は植芝師範の稽古法を忠実になぞる稽古をすることが合気道の稽古の本流だと述べる。
一つの技を何万回と鍛練する氏の稽古ぶりは素晴らしい。剣の鍛練のために立木相手に示現流の技法で何万回と打ち込むことで、技の切れを磨くそうだ。
約束稽古での驚異的な打ち込み練習によって技を磨く、年齢を感じさせないスピードは素晴らしい。
技芸としての最高峰を目指すのが多田師範の稽古である。

「技芸」
デジタル大辞泉の解説

ぎ‐げい 【技芸/▽伎芸】  1 美術・工芸などの技術。2 歌舞・音曲などの芸能。また、そのわざ。◆1は「技芸」、2は「伎芸」と書くことが多い。
実際、多田師範はたびたび一流の芸術家の技術と鍛練についてをひきあいにだして稽古法について紹介している。一流の芸術家の鍛練法は合気道の鍛練に非常に参考になるというわけである。
勿論、その紹介のしかたに異論はない。
しかし、技芸と武道(競技武道)はジャンルが異なることを述べておこう。

                                                   

やっとわかった他流派のめざすところと、競技合気道のめざすところ。

冨木先生について合気会の多田師範が記述したことについて紹介しよう。
『多田師範は冨木先生から乱取りと競技化について何度か説明されたそうだ、礼節を重んじる多田師範は格別反論しなかっのであろう。いや、わからなかっのだろう。なぜそのように推測するかは後述するが。
まず冨木先生は嘉納治五郎の弟子で合気道の競技化を説いた。『「氏の立場としては仕方なかったことである」』と理解を示すような記述である。多田師範は乱取りも試合も形の一部であると常日頃、述べている。冨木先生も乱取りは形のように稽古するべきであると言われた。
究極の理想はそのようにできる技術を身につけることにあると私も感じている。
そして多田師範は乱取稽古を試したことがあるようだ。何万回も形稽古を行っている高段者にとって乱取稽古はたやすいことであるとする。私はその稽古の内容を知らないが、初心者は行うべきでないと言う。
その意見は尤もである。基本の形を知らない者同士が乱取り稽古は
できないのである。優れた技法を有する者同士がきちんと研究のために乱取り稽古をすることは「技の進化」につながるからである。
それでも多田師範は乱取りを稽古法のなかに採択しない。

「一瞬のズレ」とは
多田師範は乱取り稽古らしき稽古で生じた「一瞬のズレ」が気になって稽古に採択することをやめられたようである。
乱取りは約束稽古ではない。技をかけようとすると当然、防御しようとする。その防御は千差万別である。自分が予測していない防御に
出会えば、一瞬の判断にてどうすべきかを考える。想定した技を別の技に切り替えることもある。
そのときの一瞬の「間」がいやなのであろう。
それは0,何秒の瞬時でもいやなのであろう。
技芸の舞踊、能、歌舞伎はシナリオどうりに寸分の隙なく
演じることのために稽古をする。そうした点では多田師範の
演武もまさに血のでるような稽古の集大成として演じられるのだから、同じなのである。完璧を目指すのであれば一瞬のズレは許されないのである。
ここに多田師範が乱取り稽古を採択しない理由があると推測するのである。

 

乱取り稽古は一瞬のズレが連続技の練磨につながる。

 

満州建国大学の記念式典で行われた武道演武会で、植芝先生の受けをとられたのが我が師の大庭先生である。

「小松くん天下の名人がどれだけ強いか試してみようと思い一生懸命に握ったのです。

私は力が人一倍強いから。・・・終わったあとこの未熟者と怒鳴られました。凄い形相でね。しかし薙刀の園部先生が「大庭さん今日の演武はとてもよかった。特に技のつながりが」とほめられたので急にニコニコして上機嫌になられました。」

この演武の話は合気会の多田師範も噂で聞いており「凄い演武だったそうですね」と語っておられる。多田師範の否定する一瞬のズレが凄い演武になったのである。

つまり植芝先生は堪えた大庭先生を別の技をかけて押さえ、投げたのである。まさに乱取りの妙味はそこにあるのだ。